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1日目

関西→(中国南方航空)→長沙

長沙(泊)

2日目

長沙→(高速鉄道)→貴陽

貴陽(泊)

3日目

貴陽

貴陽(泊)

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貴陽→(天津航空)→銅仁→鳳凰

鳳凰(泊)

5日目

鳳凰→銅仁→鎮遠

鎮遠(泊)

6日目

鎮遠→凱里→長沙

長沙(泊)

7日目

長沙→(中国南方航空)→関西


鎮遠の朝は静かだ。

田舎町にやってきたなと実感する。

朝のラッシュ時になろうという時間にもかかわらず、駅に続く通りには車は走っておらず、「ちょっとそこまで♪」という風な軽装備なお年寄りと、行商さんくらいのものだった。

この街には、朝のラッシュというものがないのだろうか。

国鉄駅もがらーんと静まり返っており、本当に静かだ。

これから、隣町の凱里に向かう。


朝見かけた行商さん。


人の少ないこの田舎町には大きすぎる鎮遠駅。


各地と昆明を結ぶ線上に位置する鎮遠。

やけに天井が高くて風通しのよい構内。


さようなら。癒しの街、鎮遠。


中国の駅のホームは低い。

だから乗るのに一苦労。

列車は、そこそこの人の多さ。

眠っている人が多かったイメージがある。


よっぽど疲れていらっしゃるのだろう。


数々の田園風景を通り過ぎること、1時間強。。。


※こちらから、鎮遠→凱里間の車窓をお楽しみいただけます。


無事に、凱里駅に到着。やっぱりホームが低い。。。

凱里について思ったのは、人と車の多さに現実に帰ってきたという感覚だった。

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鳳凰からバスで1時間で貴州省銅仁に戻り、さらに銅仁からバスに乗り換え2時間。

やってきたのは、鎮遠という街だ。

貴州省を代表する昔ながらの街並みを残すエリアで、鳳凰に比べると控えめだが、川に映るこの町の夜景は鳳凰にも負けないくらいの絶景だ。

また、旧日本軍の軍人数名が捕虜となりこの鎮遠に収容され、現地中国から日本に向けて反戦活動を行ったそうで、収容所が今でも残されている。

鎮遠は、バスターミナルと鉄道駅は隣接していて、街中までは路線バスで結ばれているが、歩いても十分いける距離だ。


Heping StとS306が交わるあたりからが中心街だ。



こちらは銅仁の街中にある「興市橋」。橋の上では飲食から衣類、そして文具までさまざまな露店が開かれている。


銅仁の街中は、雑居ビルが密集していて、あまり落ち着ける雰囲気ではなかった。


※銅仁の町並みに触れていただけます。


今回は、鳳凰の時とは異なり、街の中心にあるバスターミナルから出発。

一路、鎮遠を目指す。



バスが出発して数十分。バスは、どんどん山を登って行く。

もともと悪天候だったこともあり、外は濃い霧に覆われていた。


大雨の中高速を飛ばすこと約2時間。雨の滴る鎮遠バスターミナルに到着。


和平村は、もともと刑務所として作られたが、戦争を期に収容所となったそうで、ここに137名の日本兵が捕虜として収容されていたそうだ。

流石に外壁を眺めると収容所であるが、内部には広々とした空間が有り、収容所や刑務所のような重苦しい雰囲気は感じなかった。

抗日戦争が勃発して、国共合作により、国民政府軍政部が成立して周恩来が副部長となり、下に3つの機関が設置された。

そのひとつの第3庁は、日本軍への宣伝工作、捕虜の管理や教育などを担当した。

庁長は、郭沫若氏が庁長を務めた。

ここに収容された日本兵らは、比較的自由の効いた環境に置かれたそうで、山菜を採りに行ったり、川でで魚を捕ったり、また玩具を作って街に売りに出たりなどしていたそうだ。

1946年3月、長谷川敏三隊長の統率により日本に戻り、東京で集会を開き、「生涯、日中友好と世界平和のために奮闘する」と誓いを立て、1982年から5年間に3度、同胞とともに再びこの地を訪れ鎮遠を、自分たちの再生の地であり、第二のふるさとだと述べたそうだ。

japanese.china.org.cnより一部引用




鎮遠の町並みは、鳳凰とはまた違った良さがあった。

木造の多い鳳凰と比べて、鎮遠は石づくりのカクカクした感じ。

また、日が沈むと川沿いの家家にぶら下げられた提灯に火が灯り、それらが革に移り、川にもうひとつの街が浮かび上がる。

これぞ鎮遠ならではの見所だ。


※こちらで、鎮遠の町並みに触れていただけます。


ちょっと小腹がへったので、食堂に入っておやつタイム。



夕食は酸っぱ辛いラーメンを、和平村の近くに出ていた夜市で頂いた。

無愛想なお母さんだったけど、味は確か!!


ホテルは、和平通り沿いにある「JUNHAO INN」。

一泊1600円程度。

何故かジャン卓がありが部屋の広くて、窓を開けると鎮遠の街並みが眺められる素敵なホテル。空調機能もハイテク。

ただ、トイレの便座がなく、腰を浮かせて用を足さなければならないのが難点。


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今回の鳳凰滞在において、私は温かい人柄の中年夫婦が営む小さな客銭に宿泊した。

5階建てで、1フロアに二部屋の小さなもので、もちろんエレベーターなんてものもない。

急な階段を上って、たどり着いた部屋は、ホテルというか生活感が溢れるアパートの一室のような雰囲気で、案外居心地のいいものだった。

小型の給湯器も、備え付けられており、お湯でのシャワーに困ることはない。

シャワーも排水管も、ジャバラのホースなどを使った手作り感満載のものである。

これでしっかりお湯が伝わり出てきて、流れていくのだから不思議なものである。

ただひとつ残念だったのは、トイレが中国式(日本式のようなもの)であったことだ。


今回宿泊した施設はこちら。

フェンフアン エンカウンター イン (Fenghuang Encounter Inn)

NO.3 Tangjia Alley,Laoyingshao Road

虹橋から程近くにある客銭「エンカウンターイン」。

共有エリアの壁には、これまでに宿泊した人たちが残していったメッセージの数々。

エンカウンターインのオーナーは、こういったお客さんとのコミュニケーションを大切にしているとおっしゃっていました。

今回お世話になった客室がこちら。可愛らしい装飾が気に入りました。


こちらはツインタイプの部屋です。


ただひとつ残念だったのは、トイレが中国式だったことです。




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鳳凰古城は、中国で最も美しいと賞賛される古城の一つである。

春秋戦国時代から清代に至るまで、軍事政治の中心地として栄えた当時の面影がそのまま残す古城としても知られている。

中華人民共和国が成立してからは、湘西苗区の政治、経済、文化の中心としての役割を果たしており、トゥチャ族とミャオ族が人口の半分以上を占める。

鳳凰古城は、湖南省の西の果て湘西トゥチャ族ミャオ族自治州鳳凰県にある。

古城の真ん中を貫くように流れる川には、この古城を訪れた観光客を乗せた小舟が多数見られ、石を飛び飛びに設置して古城の両岸を結ぶ橋の役割を果たす「跳石」を、恐る恐る渡る者あれば、まるで牛若丸のごとく ヒョイヒョイ と、軽く渡る者もいた。

川沿いの細道には、夕陽で川面が橙色に染まる景色を、ただジーッと眺める者あれば、スマホで撮影に励むものもいた。

古城内は、川に直接杭を打つ高床式建築様式の「吊脚楼」。

水面には、川から吊り下げられているかのように映るその姿は実に見事なものだ。

鳳凰古城内には、そういった建物の様式的な理由からか、ホテルよりも客銭といわれる宿泊施設の方が多く見られる。

また数多くの飲食店と、お土産物を扱う商店がひしめき合い、鳳凰を訪れた観光客で、実に賑やかであった。

嵐のような雨が降る中、鳳凰古城にたどり着いた。

予約していた客銭にチェックインをして荷物をあずけて、しばしの雨宿りとした。

降っていた雨もひと段落。

古城のさらに内部へと足を運んだ。

古城内の散策には、チケットが必要で各所に検察があり、通るたびにチケットのチェックがある。

チケットは、148元。

しかし、「人民網」によると以下のとおり、2016年の4月からは無料になったらしい。


世間の注目を集めていた「鳳凰古城の入場料無料化」をめぐる問題に、とうとう結論が出た。湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州鳳凰県委員会宣伝部は28日、2016年4月10日より、鳳凰古城がこれまで観光客から徴収していた、観光地エリアに入るための入場料148元(約2600円)を無料化することを明らかにした。これにより、過去3年間実施されていた同観光地の入場料徴収制度にピリオドが打たれることとなった。広州日報が報じた。

鳳凰県政府は27日、「観光エリアにおける入場料徴収の暫定停止と各観光スポットにおける入場料徴収制保留に関する鳳凰県人民政府の文書」を発表した。同文書によると、4月10日より、鳳凰古城観光エリアに入るための入場料の徴収を暫定的に取りやめるが、各観光スポットへの入場には引き続き入場料を徴収する方針という。今回の措置により、鳳凰古城を訪れる観光客は、エリア全体のセット入場料148元を支払う必要はなくなり、個別の観光スポットに入る場合にのみ、それぞれの入場料を支払うだけで済むようになる。つまり、観光スポットに入るつもりがなければ、無料で鳳凰古城エリア全体の観光を楽しめるようになる。(編集KM)

「人民網日本語版」2016年3月29日


古城の外から眺めた「跳石」。

渡ってみたが、思いのほか足の踏み場が狭く、緩やかに流れていたかのように見えた川の流れは、想像以上の激しさで、ついつい足がすくんでしまう。

後ろからは、同じく対岸へ渡ろうかとしている人がどんどんと迫って来る。

前に進むしかないのだ。

奈良県の十津川村に架かる吊り橋を思い出した。

少し歩いただけで、上下に激しく揺れる吊り橋を、慣れた人などは自転車で渡るのだ。

それに似たものがあった。

川の真ん中に、差し掛かったところで一息ついた。

ここまで息を止めて、ただ目の前の足場だけを見て、着実に一歩ずつ足を進めてきた。

一旦休憩しよう。限界だ。

足を止めた場所から眺めた夕陽にやける古城は本当に美しく、それ以外に適当な言葉が見当たらなかった。

古城内には、トゥチャ族とミャオ族の行商が、特産品を売り歩いたりと異世界感を満載に醸し出している。

川沿いは、「吊脚楼」の建物が多いが、川から離れた場所は石づくりの建物が多く、古く剥がれかけた壁が、ノスタルジーな雰囲気に誘ってくれる。

古城内を歩き回って、川沿いに戻ってくると、古城がカラフルにライトアップされていた。

川沿いには酒場街があり、大音量で入り混じるロックミュージック。酒場の呼び込みや、酒場に入るかはいらないか迷う観光客の団体で、川沿いの酒場街は混み合っていた。

その光景は、夕方に見た古城とはまるで別物だった。

私は、夕方に見た古城が好きだ。

川沿いにずらりと並ぶ「吊脚楼」。

夕陽に照らされ黄金色に光り輝く「沱江河」。


夜になると、ネオンと大音量のミュージックで盛り上がる酒場街。


ネオンを照らしてカラフルに輝く水面と、夜になるとさらにスリルがアップする「跳石」。


ライトアップされた古城を眺める人の後ろから眺める私。

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鳳凰へのアクセスについては、いろいろな方法がある。

同じ湖南省からだと、長沙や懐化などからバスも運行されている。

しかし、鳳凰古城は湖南省にあるものの、本当の西の端にあるため時間もかかる。

湖南省の西隣は、貴州省だ。

貴州省の銅仁市は、貴州省の東の端にある。

銅仁市からだと、鳳凰まで直行バスで1時間ほどでたどり着くことができる。

今回貴州省をメインに旅をしたこともあって、貴州省省都貴陽市から銅仁を経由して鳳凰に入ったので、銅仁からのルートを紹介したい。

貴陽から銅仁までは、天津航空が一日2~3便往復している。

飛行時間は、上がって降りてすぐ到着の50分程度。

国内線でも機内食が提供される中国でも、さすがにこの短時間のフライトでは提供されなかったが、ミネラルウォーターが提供された。

おおよそ3000円弱のフライトでそこまでサービスしていただき、心が痛む。

銅仁鳳凰空港に到着。

一本の滑走路に、こじんまりした平屋のターミナルが一つと、地方空港をえに書いたような空港だ。

新しいターミナルに建て替えられるようだ。

中国の発展に対する勢いを、旅をする中でこういうところから感じさせられる。



フライトスケジュールに合わせて、空港から市街地までシャトルバスが運行されているので、飛行機を降りたら、まず満席になる前に乗り込む。

市街地まで、1人15元だ。

最悪、ダメだったらターミナル内に唯一のカフェで次のバスを待つか、諦めてアクシーに乗るかの選択になる。

車窓からは、地方ならではの景色。


銅仁には、バスターミナルが二つある。

メインのバスターミナルと、国鉄駅の向かいに位置する「銅仁旅游バスターミナル」だ。

鳳凰へのバスは、こちらから発着している。


鳳凰行きのバスは、14:30と16:30の2便。料金は、22元。

閑散とした待合室にて。


出発の10分前くらいになると、検札が始まりバスへ案内される。

だいたい乗車率は、半分位だった。

あの閑散とした待合室のどこからでてきたんだろうか。

「着いたぞ!!」

運転手が、降りるように声を張り上げた。

あきらかに古城ではない鳳凰大道という大通りで降ろされた。

流しのタクシーつかまえて一気に古城へ。

「虹橋まで。」

「20元だ。」

20元で「虹橋」まで走ってもらうことに決まった。

銅仁から1時間とすこしで、鳳凰古城にやってこられた。

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さて、貴陽竜洞堡国際空港にやってきた。

日本読みでは「きようりゅうとうほうこくさいくうこう」と読む。

中国読みは「Guìyáng Lóngdòngpù Guójì Jīchăng」だ。

日本へ帰国するわけではない。

これから、中国のとなりの湖南省の鳳凰という場所に向かう。

鳳凰は湖南省でも最西端にあり、貴州省の銅仁という町まで飛べば、そこからバスで1時間だ。

貴陽から銅仁までは、飛行機で50分だ。

天津航空が、貴陽と銅仁を一日2~3往復で飛んでいる。

空港行きの路線バスは、空港の外れまで。そこから徒歩で空港に向かう。だいたい2~3分。

空港の右側の一部が国際線ターミナル。左側の大半が国内線ターミナルだ。


国際線ターミナルは制限エリア外には売店も食堂も何もない。



お酒の産地の貴州省らしい土産品を扱う商店の数々。


国内線ターミナルは、左右真っ直ぐと3つのエリアに分かれている。


そのうち、102-118の搭乗口は現在使われていないようだ。


貴陽空港国内線ターミナルでは、プライオリティパスが使えるラウンジがある。保安検査場を抜けてすぐ。エスカレーターで2Fへ。

落ち着いた個室に通され、お茶とお菓子のサービスを受けた。




国内線ターミナルの案内図。

新しい国内線ターミナルは、レストランやカフェテリアや商店がそこそこ揃っている。

1Fのバスゲートの待合室には、喫煙室がある。タバコを吸いたい方は、こちらへ。


さて、いよいよ銅仁に向けて出発だ。


※こちらで、貴陽竜洞堡国際空港の雰囲気を味わっていただけます。




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貴陽のシンボル的存在「甲秀楼」。

科挙の試験のため、甲が「科挙」、秀が成績が優秀の意味で、「甲秀楼」というそうだ。

貴陽の街は、どこもかしこも再開発で騒がしい。

河の上に浮かぶように建てられた「甲秀楼」は、都会のオアシスだ。

「甲秀楼」で夕涼みをする人たちを見ていると、再開発と交通渋滞で騒がしい町並みに疲れた気分を癒される。そんな場所だ。

貴陽の夜といえば、夜市だ。

「合群路小吃夜市」が有名だが、残念ながら再開発の為に、大半が閉鎖されていた。

その代わりと言ってはなんだが、「合群路小吃夜市」から東に二ブロック隣に、夜市が開かれていた。

広い通りにいくつもの飲食ブースが並んでいる。

台湾の夜市のように、歩行者天国のようにはなっておらず、真ん中を車がビュンビュン走ってくる。

夜市ばかりに気を取られていると、車とぶつかってしまう。

大陸ならではの豪快さだ。

貴陽はお酒の産地としても有名だ。

貴陽のお酒に名物料理。

「甲秀楼」で、夕涼みをして、お腹がすいたら、ビュンビュン走り抜ける車をヒョイヒョイと避けながら、美味しいお酒と郷土料理をつまみ食いしてまわる。

そんな旅を楽しめるのは、他にはない。貴陽の街だ。

貴陽のシンボル的存在「甲秀楼」。

夕日に照らされる「甲秀楼」。

「甲秀楼」の中から見た貴陽の街。


「甲秀楼」へは、貴陽市内各所からバスでアクセスできる。

夜に染まりゆく貴陽の街。

「合群路小吃夜市」の代わりに開かれていた夜市「狭西路炒菜夜市」。

「甲秀楼」からは、34番のバスであっという間に到着だ。

大陸らしい原色と派手さが前面に出たブースの数々。


内陸に来たことを実感させられる。「田螺」を使った料理。


これもよく見る。「ザリガニ」。



見た目で頼んでみたこちらの「麺料理」。

見た目によらず、半端無い辛さだった。

辛さのあまり、この日の夜トイレから出られなくなったのは、言うまでもない。

せっかく貴州にやってきたのだから、貴州名物のお酒を頂かないわけには行かない。

モロコシを原料とした白酒が有名だ。

中国は広い。広い中国だからご当地ビールも山のようにある。「茅台ビール」は貴州省を代表するビールだ。

早速味見をしてみたが、これまで飲んだビールの中で一番の味だった。

お酒好き、ビール好きには是非一度はおすすめしたいビールだ。

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明の時代に、中国南西部を収めるために作られた軍事拠点の一つとして知られる「青岩古城」。

貴陽からバスで一時間ほどでたどり着くことができる。

「青岩古鎮」は、昔ながらの風景を楽しめるちょっとした観光スポットだ。

「青岩古鎮」は、太平天国の時代には石達開が6度も城を攻めたが落とせず大敗を期し、難攻不落の城として名を馳せた。

古城内は、石畳に城門に木造民家が残っており、明清代の雰囲気に浸ることができる。

貴陽市内からのバスは、古城から少し離れたバス停に到着した。

バス停から古城の城門まで伸びる道を、バスから降りて古城へ向かう群れの中に混じって歩いた。

城門で入城料を払って、いざ「青岩古鎮」へ。

中国に来ていつも感じるのは、こういった郊外や地方都市の観光化が本当に進んでいるということだ。

観光という分野における地方活性の上手さだ。

中国に来るたびに、中国国内を旅して回る中国人をいっぱい見る。

地方に元気のない日本が見習うべき点ではないだろうか。

日本の地方にも、魅力的なところはたくさんある。


青岩古鎮

入城料=10元


「青岩古城」の城内案内図。

「青岩古鎮」は、貴陽市内から南に約30KMに位置する。

城門までは、どこにでもある田舎道を歩いていきます。

バス停から城門までは歩いてすぐ。まずは入城料を支払います。(10元)

城門をくぐれば、いっきにタイムスリップしたかのような風景に様変わり。

場内での散策を動画にしてみた。「青岩古鎮」をちょっぴり仮想旅行してみては。


半分崩れかけている風な建物も続々。

こっちの通りは、ちょっと雰囲気が変わって木造から石造りのエリアへ。


奥に進めば進むほど、人の密度が大きくなってきた。


ちょっと丘の上から、瓦屋根を眺めてみた。

この不揃い感がいい。

城壁が小山の上まで伸びていたので、登ってみることにした。

思った以上に急な階段。登れるのか。。。

小山の頂上から見た「青岩古鎮」。


南広門(南に位置する門)から、古城に再入城をしてみた。

中国内陸部特有の仮面劇がやっていた。まさか、ここで見られるとは。


よもぎ餅らしい餅菓子。なかには甘い蜜がみっちり詰まっていた。

優しく噛みちぎらないと、中の蜜が爆発しちゃうので、要注意。

「青岩古鎮」には、名物料理がある。

それは上にアップした写真の豚足の煮込みと揚げ豆腐だ。

豚足は、少し甘い味付けで、いくらでも食べられる。

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貴陽郊外の「青岩古鎮」までへの市内からのアクセスについて紹介したい。

ある旅行雑誌には、「河濱公園バスターミナル」からアクセス可能と書いてあるが、「河濱公園」に行くもバスターミナルらしきものが見当たらない。

公園内をぐるぐる歩き回ってみるも、やはりバスらしき気配は感じられない。

そこらへんの人に聞いて回ってみると、アイスクリーム屋の店主から有力な情報が得られた。

「ここじゃない!!花果園湿地公園だよ。そこまでバスで言って乗り換えな。」

花果園??馴染みのない単語に困惑した表情の私に、店主は「花果園」と書いて見せてくれた。

ああ!地名のことか。

文字にして初めて理解した。

ここ河濱公園からだと、307番のバスに乗ったら花果園湿地公園へ行ける。(307番バスは甲秀楼へもアクセスしている。)

花果園湿地公園で、青岩行のバスに乗り換える。

ということらしい。

店主を信じて青岩古鎮を目指し、307番のバスに乗り込み花果園湿地公園へと向かった。


河濱公園には、バスターミナルらしきものは見当たらない。

公園内には、ダンスを踊る集団で賑わっていた。

アイスクリーム屋の主人に書いてもらったメモを片手に花果園湿地公園を目指す。


307番のバスに乗って花果園湿地公園へ。




高層ビルが立ち並ぶ花果園湿地公園に到着。

まるでお城のような建物まである。さっきまで歩いていた街中とは別世界だ。


ようやく青岩古鎮行のバス停を発見。平日の昼間でも、このバスを待つ人の長い列が出来ていた。


バスに乗り少し走ると開発中の区域に入った。どれもまだガラスも貼られている途中やまだないものから骨組みだけが出来上がっただけのビルまであった。中国はこれからどんな国になるのだろう。底知れなさを感じた。


1時間ほどで青岩古鎮に到着した。

どうやら貴陽空港や東バスターミナルからも直行のバスがあるようだ。参考までに。


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長沙(泊)

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今回の貴陽滞在において、私は名の通ったエコノミーホテルに宿泊した。

低価格で最低限必要なものはなんでも揃う。

そんなチェーンホテルはたくさんある。

「錦江之星」も、そんなチェーンホテルの一つだ。

こういったチェーンホテルは、感動することはないが失敗することもない。

その為、中国に来たらいつも利用している。

しかし、一度だけ失敗したことがある。

北京の「錦江之星」を利用したときのことだ。

排水の匂いが上がってきて、部屋にその匂いが充満していた。

とてもじゃないが、我慢できない。

フロントに行って事情を説明すると、快く部屋を変えてくれた。

しかし、変わった先の部屋でも同じく、排水口の匂いが上がってきていた。

結局諦めたのだが、失敗はその一度きりだ。

今回貴陽で泊まった「錦江之星」は、清潔感もありベットの幅も広く快適に過ごすことができた。

「錦江之星」は、驚きや感動を覚えることはない。

しかし、期待は裏切らない。

锦江之星贵阳解放路酒店

No.201 Jiefang Road, Guiyang, China

「锦江之星」のある空招(コンザオ)は、駅からさほど離れていない場所にある。

240番と250番のバスが火车站(鉄道駅)と、ホテルのある空招(コンザオ)を結んでいる。


フロントの対応は、フレンドリーでよかった。



ちょっと固めですが、一人にはちょっと広いベットで快適だった。

寝返り打ち放題!!


最低限の設備は揃っている。何も不自由ない。

写真が残ってなくて載せられなかったが、バスルームはタブなしの洋式トイレのユニットタイプ。お湯は問題なく出る。

このクオリティで、¥2,766-/泊。

せっかくなので、朝食バイキングを利用してみた。

40元と朝食にしたら結構したが、品数も豊富だし文句なし。

ファミレスっぽい客席だった。

こっちに来たら、朝はお粥と決めている。

上の写真のちまきのような四角い物体を開けてみるとこんな感じ。

これがほんと美味しくて、このあとにおかわりしたのだが、これを食べるためにも朝食バイキングを利用する価値はある。

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中国国内において、四川省と並んで最も貧しいとされて貴州省。

貴州省の省都貴陽市。

貴陽市は、2014年に「貴陽北」駅が開業し、上海と貴陽の間が高速鉄道で結ばれた。

これまで、交通の便が悪く、旅行者の足を遠ざけていた場所でもあった。

ところが、ここ最近になり日本からも中国版のLCC「春秋航空」が直行便を就航させるなど、一気に訪れやすい場所となった。

ただ、市内はまだ交通網は整備されておらず、貴陽の街中の交通渋滞は中国の地方都市の中ではトップクラスの酷さではないだろうか。

「貴陽北」駅を夕方に出て、途中のハイウェイで先の見えない渋滞にひっかかってしまい、「貴陽」駅にたどり着いた頃には、既に日が暮れていた。

貴陽駅前のロータリーは、大きなバスターミナルとなっている。

バスがたどり着いたターミナルは、右に左に所狭しと夜店が並んでおり、お盆に開かれる夏まつりのような賑わいだった。

賑わいに押されるように、愛想の良さそうなご主人の営む夜店に入り、夕食ををとった。

「過橋米線」だ。

「過橋米線」は、貴陽州のとなりの雲南省の名物料理で、グツグツとにたったスープに米粉を使った麺をふんだんの野菜と肉でいただくという麺料理だ。

まさかここに来て、「過橋米線」が食べられるとは思ってもみなかった。

濃い味の多い中国では、すぐにお腹が疲れてしまう。

そんな時に、「過橋米線」のような薄く優しい味付けの料理は、本当に救われる。

最高時速293KM高速鉄道で、貴陽へ。


貴陽北駅から貴陽市内へは、1・26・165の3つの路線が繋がっている。


夕日を浴びる「貴陽北」駅。

2014年に開業した貴陽の新しい玄関口。

市内からは、距離が結構あるのが難点。

開発が著しく進む貴陽の街。進行方向も逆方向も車で埋め尽くされる道路。「貴陽北」駅を出て、はや1時間。「貴陽」駅には、まだ着かない。


貴州省らしい、個性ある建造物が迎えてくれた。


本当に地方都市なのかと言わんばかりの発展ぶりだった。



奥のビルのように、骨組みだけの幽霊ビルがたくさんある。これから手前のビルのように立派なビルになるのでしょう。


どれくらいの時間が過ぎたのだろう。ようやく「貴陽」駅に到着した。

駅前には夜店がたくさん。活気と匂いに惹かれて、ついつい夜店に入ってみた。

色鮮やかで豊富な食材が並ぶ。

薄く優しい味付けの料理は、本当にありがたい。